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俺の価値ってなに?

んー

実にメンヘラっぽいタイトルだ()

 

 

 

メディアに出るようになってから数年。

 

俗に言う有名人というものに僕はなった。

 

 

 

そしてその結果

今まで僕がホストだからと煙たがっていた親戚や

それまで連絡してこなかった友人がいきなり連絡してきたり

数多くの、会ったこともない知らない人が仲良くなりたくて近付いてきたりした。

 

 

 

 

知らない人が近付いてくるのはまあ納得できる。

 

 

 

でも、以前から知っている人間達がいきなり擦り寄ってくることに関しては、正直とてつもない違和感を感じた。

 

 

だって要するに

 

 

貴方を1人の人間として見たら、共に食事に行きたいとは思えないけれど、「有名人」の貴方とは是非会いたいのです。

 

 

と言われているような気がしたから。

 

 

 

有名人という座に座る「僕」という人間ではなく僕が座るその「椅子」に会いたいだけじゃん、と。

 

 

 

その椅子に座っていれば誰だっていいじゃん

 

 

と、人格を否定されたような気がしていた。

 

 

ここまで非常に感傷的な文になってしまっているが()きっとそんなことに悩んでいる人は少なくないはずだ。

 

 

世の中には俗にいう「椅子」が沢山ある。

 

 

「金持ち」「アイドル」「ナンバーワン」などなど

 

 

あくまでその椅子が評価対象と知り、人格なんて誰も見ていないことに気付くと、人はとても残念な気持ちになる。

 

 

 

いつか椅子取りゲームに負け、この椅子を失えば自分は無価値なのだと思うと、人は誰しも絶望するものだ。

 

 

だけど

最近になって気付いた。

 

 

あれ?

 

 

そもそも俺って

例え何度生まれ変わろうが

いつの時代に生まれようが

結局スターになってたんじゃない?と。

 

 

 

なにをどうやったって

きっとそれを望まなくなって

 

 

 

俺は嫌でもスポットライト浴びて、シャワーなんかよりもスポットライト浴びちゃって、スポットライトで光合成したら軽くアマゾンのジェネリック版ぐらいの森林作れちゃうレベルで浴びて浴びて浴びまくってるだろうなーって。笑

 

 

 

だって俺だもん!

 

 

だから、スターになっていなかったとしたら自分の人格なんて誰も興味なかったのかな?

 

 

なんていう発想自体がナンセンスでした。

その発想自体が意味のないものでした。

 

 

 

どうやってもスターになっているとしたら、それも含めて俺の人格じゃん!って。

 

 

 

なに勝手に奇跡的に宝くじ当たっちゃいました的な発想して

それに群がられてる人みたいな構図の悲劇のヒロイン演じてたんだろ?笑

 

 

笑える。ローランドともあろう者が

 

 

「椅子」に座る「俺」に価値があるんじゃない。

あくまで「俺」の座る「椅子」に価値があるんだ。

 

 

 

例えそれがパイプ椅子だろうがコンビニの前の地べただろうがね。

 

 

王座の定義は、俺が座っているかいないか。

なのさ!

 

 

by ローランド

 

 

さーて明日も頑張ろっと!

 

 

 

最近寒くなってきたからみんなも風邪引かないようにね!

 

 

 

Catch you later!!

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